2024年9月10月のヨーロッパツアー日記をブログにアップしています。
http://blog.librarecords.com/
100枚目のリーダーアルバム ”Hyaku One Hundred Drems”が2022年12月9日 Libra Recordsよりリリースされました。
https://www.librarecords.com/snj/store_j.html
ニューヨーク・タイムス
2021年3月末にニューヨーク・タイムス一面でGioに素晴らしい記事で取り上げていただきました。大変光栄です。日本語訳もあります。
https://www.nytimes.com/2021/03/17/arts/music/satoko-fujii.html
藤井郷子――日常の細部に隠された音楽を探るピアニスト
多くの作品を生み出しているこのミュージシャンは、大小のアンサンブルによって、世界の複雑さを少しだけわかりやすいものにしている。
ジョヴァンニ・ルッソネッロ
2021年3月17日
ソロ・ピアノの時でも大編成の様々なアンサンブルを率いる時でも、ピアニストで作曲家の藤井郷子は、聴き手を細部に導いてくれる。
目もくらむほど多様な大小のアンサンブルのリーダーを務める藤井は、ジャズ界において間違いなくもっとも多作なピアニストだ――そしてまた、もっとも認知されていない。1990年代以来、彼女は100枚近いアルバムを、主に自身のレーベルであるリブラ・レコードから発表している。彼女は2年前に、日本文化では「還暦」と呼ばれる60歳という節目を迎えた記念として、ソロ・ピアノやビッグバンドの作品を含む新しいアルバムを毎月1枚ずつ発表した。
音楽はあらゆるところから聞こえてきて、その世界の感覚をできるだけ直接的に伝えることに挑戦しているような気がすると、藤井はいう。「奇妙に思うかもしれませんが、作曲する時には音楽がすでにそこにある――私たちがそれに気づいていなかっただけの――ような気がするんです」と、彼女は神戸の自宅で最近行われたインタビューで語っている。「私はただ、すでにそこにあったけれども隠されていた何かを探しているだけのような感じです」 頭上を飛ぶ飛行機の音、小耳にはさんだ会話、木々のざわめきでさえ、ひらめきを与えてくれることもある。
コロナ禍の隔離生活でライブやジャム・セッション、録音スタジオに出かけることができなかった彼女は、次第に不安な気分になった。神戸界隈を散歩しながら、異様なほど緊張した空気を感じた。彼女も夫であるトランペッターの田村夏樹も、誰とも演奏できずにいた。「全ての予定がキャンセルになって、『自分はいったい何者なんだろう?』と思いました」と、彼女は言う。
彼女は、お気に入りのスタインウェイのグランドピアノが辛うじて入るほどの小部屋を、自宅録音用のスタジオに仕立てることにした。そして、それまで以上に速いペースで作曲と録音、作品の発表を続けたのである。
藤井の作品全般において、相矛盾する要素が均衡を保っている。彼女の音楽は抽象的で、時には荒々しくもあるが、個々の要素は明確に輝いている。編成の大小にかかわらず、細部に対する彼女の優しい感覚と、とてつもなく幅広く豊富な質感を伝える能力が等しく発揮されているのである。彼女の音楽を聴いていると、それを視覚芸術になぞらえたくなる。すなわち、これらの作品は、たとえばマーク・ブラッドフォードのカンヴァスのように、壮大なスケール感を持つと同時に複雑で緻密なのである。
コロナ禍による隔離生活が始まって以来、彼女は自身のBandcampページで十数枚ものアルバムを発表している。それらの中には、彼女と田村がエレクトロニック・ミュージシャンのモリイクエと、電子メールで音声ファイルをやり取りしながら互いの演奏に音を重ねて作った『Pricky Pear Cactus』や、ヴィブラフォニストの齊藤易子との静謐なデュエットを収めた『Beyond』、今週金曜日にCDでも発売となる、自身が隔離生活の早い時期に書いた曲を含むソロ・ピアノ・アルバムの『Hazuki』などがある。
電子メールによる取材によれば、モリは “ダイナミックで多様なスタイル” のピアニストだと仲間のミュージシャンから話を聞いた後、2、3年前から藤井と共演するようになったという。『Pricky Pear Cactus』のプロジェクトでは、ゆったりとしたペースで一緒に作品を作ることができた。モリによれば、「この時には、演奏や細かい作業にじっくりと時間をかけることができたので、どちらにとっても理想的な状況だった」とのことである。
東京生まれの藤井は、幼い頃から音楽に夢中だったが、すぐにその才能を発揮したわけではなかった。クラシックピアノがすぐ上達したわけではなく、中には熱心に教えてくれない先生もいたという。しかし彼女によれば、10代の時に習ったあるクラシックの先生から、「ずっとピアノを弾いていれば、私ぐらい、そう、70歳ぐらいになれば、素晴らしいピアニストになっているかもしれません。誰でも良いピアニストになれます。ずっと弾き続けなさい」と言われたという。
誉め言葉としてはあまりパッとしないように思えるかもしれないが、この一言によって藤井の決意は固まった。先月行ったビデオ・インタビューで、彼女は目を輝かせながらそう言った途端に笑った。彼女によれば、落ち着かない性分で、何かを創り出しているときにこそ気が休まるのだという。
「人生にじゅうぶん満足しているという人たちはたぶん、座って美味しいお茶を飲んでいるだけで満たされるのだと思います。でも、私はそうじゃない。何と言うか――うまく説明できませんが――自分のエネルギーを受け入れなきゃならないんです。自分の努力を。そうすることで、自分が生きていると実感できるんです」
高校卒業後、藤井はバークリー音楽大学の奨学金を得て、1985年にボストンへ移った。彼女はまだ若きピアニストとして、ジャズの伝統における自分の立ち位置を模索中だった。チック・コリアが主宰する作曲のマスタークラスを受講した段階では、まだ自分の曲をそれほど多く書いていたわけではなかった。
「彼は、楽器を練習するのと同じように、作曲も練習できると言いました。当時の私にとってその言葉はとても新鮮で、『そうか、私にもできるかもしれない』と思ったんです」と、彼女は言う。作曲に関しても、たゆまぬ努力が最も肝腎なことだったのかもしれない。
また、それは全てに当てはまるのだろうか? 藤井にとって、音の着想はあらゆる方向からやってくる――むしろ、常にそこから新しい作品を“生み出さずに”いることのほうが大変なのだ。ある意味、着想を日記にしたような藤井の音楽は、抽象と現実を区別することが難しい。ピアノの弦をはじいたりひっかいたり、鍵盤を弾きながらミュートしたり、ホーン・セクションのざわめくような低音をハーモニーに融合させたり、こういう全てが音楽の形式の中での抽象的な表現に相応している。しかし、彼女が自分の周りにある素晴らしさを単に音楽に変換しているという感覚は、そう思える彼女の簡潔な感性によるものだ。
バークリー卒業後、藤井は一時日本へ戻り、音楽教師やセッションの仕事をするいっぽう、先見の明のあるバンドリーダーとしても評価されるようになった。その後彼女は1993年に、ニュー・イングランド音楽院へ通うためにボストンへ戻った。音楽院では、たゆたうような夢見心地のインプロヴィゼイションで知られる影響力の大きなピアニストのポール・ブレイに師事した。藤井によれば、ブレイは彼女の演奏の中にまだ完全には解放されていないものを見出し、ジャズのオーソドックスな手法から出来るだけ離れたほうがいいと励ましたという。
「彼からは、『他の誰かのような演奏をすべきではない。自分自身のやり方で演奏すれば、君のCDを買う意味がある』と言われたんです」と、彼女は言う。
彼女が卒業してからもふたりは連絡を取り合い、1995年には『Something About Water』を録音した。これは注目すべきピアノ・デュエット作品で、藤井がリブラ・レーベルで最初に自主製作したアルバムの1枚でもあった。彼女は間もなく、ブルックリンのアヴァンギャルド・シーンでの演奏依頼を受けるようになり、田村と共に1年半ブルックリンで過ごすことになった。
彼女はやがて日本へ帰国するが、ニューヨークで最も優れたインプロヴァイザーの多くを擁するオーケストラ・ニューヨークを結成する基盤は築いていた。彼女はこのグループでアルバムを発表し、来年は結成25周年を迎える。彼女はまた、東京のミュージシャンからなるオーケストラ・トーキョーでの活動も続けており、2010年代にはドイツで5年間暮らす間にオーケストラ・ベルリンも結成している。これらのオーケストラは、藤井の異なる音楽的側面で関連していて、おそらく彼女はオーケストラによって作曲の方法を少し変えているのだろう。
テナー・サクソフォニストのトニー・マラビーは、90年代からオーケストラ・ニューヨークで演奏している。彼によれば、バンドに対する藤井の指示はあり得ないほど控えめで、それぞれの曲をワン・テイクを超えて録音することは滅多にないという。マラビーによれば、録音した演奏を改めて聴いてみて初めて、その曲の深みが理解できることもあるという。「想像を絶する簡潔さだ」と、彼は言う。
「終わって電車に乗っても、『ありゃ一体何だったんだ?』っていう感じだった」と、マラビーはオーケストラでのあるレコーディング・セッションの経験について、次のように続ける。「でもって、郵送されてきたCDを聴くと、これがまた強力なんだよね」
マラビーは、藤井がソロでピアノを弾く時の語法を、自身は鍵盤を滅多に弾かない大編成のアンサンブルに応用する能力に衝撃を受けた。「彼女はオーケストラでピアノを超越する。そしてそれは、彼女がトリオやソロで演奏しているような音になるんだ」と彼は言う。
藤井によれば、録音の方法についての考え方は、ソロ・アルバムの時でも大編成のバンドの時でも変わらないという。いずれの場合でも、彼女にとっては音によって複雑な人生を少しだけわかりやすくすることが重要なのだろう。「ソロでもビッグバンドでも、私が作品に費やすエネルギーはほとんど同じです」と、彼女は言う。「私はただそれに集中して、時間を費やし、自分のエネルギーを100%注ぐだけです」
和訳:坂本信
Wonderful musician.
Satoko is forever friends.
伊藤さん!ありがとうございます。おかげさまで無事に帰国しました。
ダウンビート評論家賞4部門受賞、心からお祝い申し上げます❗️おめでとう❣️❣️ kim.
どうもありがとうございます!!応援していただいているおかげです!