プロフィール

藤井郷子 ふじいさとこ (Satoko Fujii)
Composer, Pianist

「藤井郷子は、優れたピアノ・インプロヴァイザーとして、個性的な作曲家として、さらには、最高の共演者たちを揃えることのできるバンド・リーダーとして、今日のジャズ界の最も独創的な存在だ。」―ジョン・フォーダム、ザ・ガーディアン(イギリス)

1958年東京生まれ。日本とアメリカで勉強して、現在は日本、ヨーロッパ、北米で演奏活動を展開。

子供の頃は、極端な内気でほとんど家から出ずに数日通った幼稚園にも馴染めずに中退。あまりに内気なのを心配して4歳から週一回外出するようにとピアノレッスンに通わされる。音楽は、それ以前から母親の趣味でやたらにドラマチックなオペラやイタリア歌曲をよく聴く。自宅にあったピアノでインプロビゼーション一人あそびを毎日行う。

ピアノレッスンの上達は、どの生徒よりも遅く、まさか音楽家になるとは誰も思わなかった。しつこい性格なので、諦めずやめずカメもびっくりのスピードで継続した。高校受験時に音楽専門への進学を試みるも受験で失敗。それから数々ある挫折の第一歩。大学受験で音楽学校への進学を準備するが、日本のクラシック界や音楽教育そのものに嫌気がさし、ドロップアウト。ちなみに私は東京芸大指揮科受験で受からなかった女子受験生戦後第一号。

高校時代に師事した宅孝二氏の影響もあり、興味はジャズに、さらに書いたものではない即興演奏に。15年のクラシックピアノレッスンの弊害で、子供の頃は楽しめた即興演奏ができなくなったことに気がつき、ピアノから離れて声を出したり、物を叩いたりする即興演奏を始める。

数年後、ジャズクラブでの板橋文夫氏の演奏に感銘を受けて、ピアノに戻る。板橋氏に師事。24歳で埼玉や東京のキャバレーでプロとして演奏を始める。連日ステージに立てば、誰でもすぐ上達という定説は全く通用せずに、1年後も何も変わらない。ここでやめるほど今まで懸命にやってきたのかという自問の末、再度懸命に試してもダメならやめようという気持ちで1985年26歳で米国ボストンのバークリー音楽院に留学。

英語が通じずにすぐに帰国したくなったが、友人たちが壮行会を開いてくれたので帰るわけにも行かずに泣く泣く留まる。それでも、とにかく褒めてくれるアメリカですっかり気分が軽くなり、しつこい性格のおかげで朝から晩までひたすら練習、勉強。扁桃腺摘出手術で入院した経験で英語もなんとか困らない程度に上達。その頃は、ただただ闇雲にジャズピアニストになりたかった。4年のプログラムを猛勉してテストで単位を取得というシステムで2年半で終了。キャバレー時代に知り合って、その後仕事を全てやめてやはりバークリーに留学したトランペットの田村夏樹と結婚、帰国。東京を拠点にライブハウスや劇場、テレビやホテルで演奏したり、ジャズ雑誌に執筆したり、ピアノや理論を教える。入ってくる仕事はほぼなんでもやっているうちに、何がやりたいのかすっかり見失う。その頃、田村のトランペットの教え子経由で、ボストンにあるニューイングランド音楽院コンテンポラリー・インプロビゼーション科の教育システムを知る。1993年行き詰まりからの逃避行で再度ボストンに留学。

バークリーから徒歩10分にあるニューイングランド音楽院大学院ディプロマコースで、1学期をコンテンポラリー・インプロビゼーション科で、その後ジャズ科で教えていたポール・ブレイに師事したいためにジャズ科に入学し直す。ここでポール・ブレイ、ジョージ・ラッセル、ジョー・マネリ、チャーリー・バナーカス等に師事し、連日「目から鱗」の2年間を過ごす。

1996年卒業後、ニューヨークに移り、プロ活動を始める。24歳で始めたプロ活動とは根本的に違う、自らが欲求する創作活動としてプロ活動。ニューイングランド卒業前に恩師のポール・ブレイとのピアノデュオアルバム「Something About Water」がその第1作目、それから2021年現在までの25年間に100枚弱のリーダー、コ・リーダー作を発表。
2021年3月、世界的なパンデミック中にも精力的にレコーディングを発表し続けることが、ニューヨーク・タイムス紙一面の記事で取り上げられる。

内気だった子は音楽で解放されまくって、年の4分の1はツアーで国外をまわる。ソロや数々のデュオ、トリオ、カルテット等の小編成のプロジェクトに加え、ニューヨーク、東京、名古屋、神戸、ベルリン等で15人超編成のオーケストラも主宰。2006年、主宰するオーケストラ4つのそれぞれのアルバムを同日リリース、2018年には還暦記念で毎月1枚アルバムを発表。

ガムシャラに創作してきた活動や作品は、ありがたいことに様々な形で評価をしていただき、数々の賞も受賞。

–2000年度ジャズ・ジャーナリスト協会の作曲家賞にノミネート(アメリカ)
–2001年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)Satoko Fujii Orchestra:「より幅広く注目されるべき才能」に選出。
–2005年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ) 新人賞、アレンジャー部門第5位 
–2015年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ) Satoko Fujii Orchestra、ビッグバンド部門
–2015年度El Intruso(アルゼンチン) 作曲家賞
–2016年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)作曲家新人賞
–2018年度ジャズ・ジャーナリスト協会の作曲家賞にノミネート(アメリカ)
–2018年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)作曲家、作曲家新人賞、編曲家、ピアニスト、ビッグバンドの5部門で選出される。
–2018年度ニューヨーク・シティー・ジャズ・レコードのアーティスト・オブ・ザ・イヤー5名に選出される。
–2018年度El Intruso(アルゼンチン) アーティスト・オブ・ザ・イヤー
–2019年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)作曲家、編曲家、ピアニスト、ビッグバンドの4部門で選出される。
2020年度 Instant Award in Improvised Music 受賞(アメリカ)
–2021年度ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)作曲家、編曲家、ビッグバンドの3部門で選出される。

究極のゴールを「誰も聴いた事がないような音楽を作る」として活動を続けている。

2021. 8.31



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